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入試とシンギュラリティ

 今日は、入試の現代文や英語長文において時折見られるジェネレーションギャップについて。

 

 例えば、スマートフォンが普及したことで社会や人々の発想にどのような影響がもたらされたかに言及した文章があるとします。このような文章は大抵、変化前の様子と変化後の様子とが対比されています。ところが、受験生はえてして変化後の時代に生まれていて、変化前の状況を「体験」していません。目の前の文章から情報を得て想像することはできても、変化前後の心境の変化を実感することはできないわけです。きっと多くの十代が、「スマホはおろか携帯電話さえ無い時代に、どうやって仕事してたん?ありえんくない?」という風に、不思議な思いを抱いていると思います。
 一方、問題作成者の多くはこうした変遷を体験している可能性が高いでしょう。しかし、問題を解く立場の世代はそうではないことにまで配慮して作成している人がどれだけいるだろうかと想像すると、甚だ心許ない気分です。

 

 このハンデは結構大きい。

 

 何より、「自分が不利な立場にある」ということ自体に気づかないまま問題に取り組んでいる状況が危険です。しかも、今後の技術の発展は数年前のものと比べても相当な速さでしょう。ギャップの広がりと程度はますます大きくなりそう。

 そういうわけで、文章の内容にも拠りますが、生徒さんには授業中、「変化前」の状況を伝えるよう心掛けています。

そんなに簡単なことではないので、より良い手立てを模索する日々ですが…
 

 ひょっとすると、受験生の方が詳しくて作問者はあまりよくわかっていないという逆転現象が起こる日が来るかもしれないですね。
 そんな未来を見てみたい気持ちも、ちょっとある。